とくさん。
台湾は日本とビジネスしている人達は超親日です。
台湾の成り立ちはかなり政治色が濃いから...
こんなの有りました。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/23827-nhk-06f8.html
大日本帝国朝鮮銀行本店
仮想通貨詐欺?
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20070525/p1
日本統治時代の朝鮮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE
朝鮮銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%8A%80%E8%A1%8C
朝鮮における植民地幣制の成立
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=1_IcjsPAMVoJ&p=%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD+%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%8A%80%E8%A1%8C&u=libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F10441%2F6193%2F2%2FHIKONE%2520RONSO_218_073-090A%2520hatori.pdf#search=%27%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD+%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%8A%80%E8%A1%8C%27
なんとも不思議な番組が放映された。NHKが終戦特集として放映した「円の戦争」と言う番組である。この「円の戦争」とは日中戦争(昭和12年〜)から太平洋戦争(昭和16年〜)にいたる約8年間の戦費、その中でも中国戦線の戦費をどのようにして調達したかをあぶりだそうとして追ったものである。
しかしこの番組は非常に理解するのが難しく、想像力を駆使して不足の情報を補わなければならなかった。
理由は二つあって、一般に戦時経済についての知識が私を含めて不足していることと、さらに戦時経済そのものが秘密のベールにつつまれていて今回明らかになった内容を含めて情報が極端に少ないことによる。
しかしそれにも関わらず当時欧米諸国から見たら最貧国の日本が約8年間にもわたって戦争を継続できたからくりがあるはずで、この番組ではそのからくりが銀行間の「預けあい」というシステムにあったと述べていた。
当時大日本帝国には3つの発券銀行があり、日本銀行、朝鮮銀行、台湾銀行がそれである。それぞれが円を発行しており等価(100日本円=100朝鮮円)で交換されていたが、なぜ発券銀行を別にしたかの理由は「植民地経済が悪化したときにそれをすぐに切り離すことができるように」との理由からだったという。
注)現代的なセンスからは、統一通貨円で日本、朝鮮、台湾に円圏を確立して経済統一を図るほうが合理的に思われるが、当時は3地域の経済の発展状況が相当異なっていたため、別個の経済圏としたほうが合理的と判断したのだと思われる。
しかしこの個別に円を発行できるという独自性が朝鮮銀行の独走を招いた。それは朝鮮銀行勝田総裁が朝鮮銀行を朝鮮のみならず満州、北支を含めた中国全土の共通通貨発券銀行にしようとの構想を持っていたからだと言う。
これはちょうど関東軍高級参謀板垣征四郎や石原 莞爾が中国全土を日本の支配下に置こうとして満州事変(昭和6年)から日中戦争へと戦線を拡大していった裏の資金調達の事情と一致すると言う。
私は満州事変も日中戦争も日本の国家予算で実施していたものと思っていたが、実際は関東軍は現地での物資調達が可能な仕組みを考案していたという。
注)当時の大蔵大臣高橋是清は軍部を抑える手段として、軍事予算を絞り込んでおり関東軍は自由に活動できる資金を国家から支給してもらえなかった。このため独自で資金調達をする必要に迫られていた。
石原 莞爾の言う「戦争を持って戦争を養う」と言う思想だが、はっきり言えば「必要なものは現地で収奪する」と言う思想である。
これは近代戦争としては異例とも言っても良い手法で、アメリカ軍などは武器・弾薬・食料を含めてすべて本国からの輸送によっており、戦費はすべて国家予算で統制されていた。
一方日本は満州事変にしろ日中戦争にしろ、政府や大本営の不拡大方針を無視して現地軍が戦線を拡大させているため政府は予算をつけない。だから関東軍は資金を自分で捻出せざるをえずその財布は「預けあい」と言う方法を編み出した朝鮮銀行だったという。
なぜ「預けあい」と言うような方法を考案したかの理由は朝鮮銀行といえどもなんの根拠もなく通貨を発行することはできないからである。発券するにはそれなりの根拠が必要で、反対に言えば根拠さえあればいくらでも発券できる。
番組ではこの「預けあい」の仕組みを図解していたが、いまひとつ理解ができなかった。
通常「預けあい」と言うのは現在の経済用語でスワップといい、信用がない通貨と信用がある通貨を互いに交換して助け合うことで、最近ではリーマン・ショック後の韓国政府を支援するために、円とウォンのスワップ協定が結ばれた事例がある。
注)韓国のウォンが急落して決済通貨として利用できなくなった場合、韓国政府はスワップで手に入れた円を市場で売却してドルに変えてそのドルで決済をするという仕組み。
朝鮮銀行が編み出した預けあいとは、朝鮮銀行の別会社として設立した中国連合準備銀行(連銀)と言う銀行との間で朝鮮銀行券と連銀券の預けあい(スワップ)をおこない、連銀は朝鮮銀行券を担保に連銀券を発行したのだという。
注)実際は軍部の印刷所でこの連銀券を発行していたので軍票となんら変わらない。
何のことかさっぱり分からないが、「連銀券の後ろ盾は朝鮮銀行であり、さらに朝鮮銀行の後ろ盾は大日本帝国だから連銀券を信用しろ」と言うことのようだ。
そして関東軍はこの連銀券を使用して現地で主として食料や衣類等の現地調達が可能な物資の調達を行った。
注)小銃・機関銃・大砲といった装備や軍用トラック等は現地での調達は不可能なので、国家予算で支給されていたが、一方食料・現地の住宅・衣類・荷物を運ぶための荷駄・兵隊の遊興費等は連銀券で支払をしていた。
当時中国には軍閥が割拠して軍閥ごとに通貨(通常は軍票と言う)が発行されており、1000種類に登っていたが、この中で最も信用されていたのは蒋介石が発行した通貨元であったと言う。
なぜ通貨元が最も信用されていたかと言うと、元を支えるためにイギリスとアメリカが資金援助していたからで、元の最後のよりどころはポンドとドルだったことが分かる。
注)蒋介石の通貨の信用は元をポンドやドルが後ろ盾になっていると言うところに有った。一方関東軍が発行した連銀券は朝鮮銀行券に換えられなかったので、紙切れと同様とみなされまったく信用がなかったという。
日本の戦争は特に食料調達については現地主義であり、はっきり言ってしまえば連銀券(軍票)と言う紙切れで収奪していたことになる。
この金額がどの程度になるかは難しい計算だが、明確に分かっている日中戦争から太平洋戦争の8年間の軍事費7559億円(現在価値で約300兆円)のうち40%、120兆円は預けあいで調達したことになるのだそうだ。
だから日本軍が主として中国戦線で費消した戦費のうち、120兆円相当は中国人からの収奪だったと言うことになる。「うぅーん」唸ってしまった。
当時の国民党も共産党も日本軍もそれぞれの通貨を発行して食料等を現地調達していたのだが、収奪された中国の民衆はたまったものではなかっただろう。その中でも国民党が発行した通貨元が相対的に信頼を得ていたと言うことのようだ。
この番組で紹介された預けあいと言う仕組みは単なる技術的な勘定処理の手段で、はっきり言ってしまえば連銀券はいくらでも増刷できる紙切れに過ぎないのだから、そうした意味ではタダで強奪しているのとなんら変わりがない。
日中戦争で日本が中国人から嫌われた理由も当然と思われる番組の内容だった。
注:同じ内容の記事
http://takehana.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-d287.html
戦前の朝鮮の法
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/houritu.htm
戦前の朝鮮の法(日本本土との違い)
1910(明治43)年8月29日、韓国併合に関する条約の公布によって、韓国併合が行われた。しかし、併合されたからといって、日本と同一になったので はない。同一であるならば、併合後日本本土と同じ法律が使われなければならないからである。
同じ法体系の地域であることを「法域」が同じという。併合すれば本来同じ法域であるべきだが、それぞれの国の状況から同じ法域に出来ない場合もあった。旧 西ドイツでは西ベルリンが別の法域であった。形式上、米英仏占領地域で、西ドイツの領域そのものでなかったからである。又、文化などの違いにより同じ法体 系の適用が困難である場合、別の「法域」とした。植民地が代表的である。
そもそも、戦前の日本の法域は非常に複雑であった(美濃部達吉、憲法提要などによる)。
1 日本本土(ほぼ現在の日本の領土。ただし、北海道と沖縄は法理論上は微妙な問題がある)
2 植民地(朝鮮、台湾、樺太)
それぞれの法体系がある。法律にあたるものを朝鮮では制令、台湾では律令といった。この地域に居住する現地の人の国籍は日本。
3 租借地(関東州)
主権は中華民国であるが、それを日本が借りているもの。したがって、ここにいる中国人は中国籍。
1972年までの沖縄がこれに近い状況だった(国籍は日本、主権も潜在的には日本。しかしアメリカ側の支配)。
4 信託統治領 国際連盟から信託された地域。あくまでも日本ではなく、信託されただけという地域。
5 占領地 ただ占領しているだけ。
この5種類のうち、日本の領域は1,2までである。
朝鮮は2に属していた。法律に当たるものは、朝鮮総督が制令という名前で公布した(「朝鮮に施行すへき法令に関する件」)。これ は帝国議会で可決された法律ではない朝鮮独自の規範である。
(※法律は帝国議会で可決したものだけ)
ただし、純粋に朝鮮の「制令」だけが適用されたかというと、必ずしもそうではない。帝国議会で制定された法律で、勅令でそのまま適用されたり、その性質 上、朝鮮で使われることを目的とし たものがあるからである。つまり、朝鮮では3種類が法源として機能していた。
1 勅令で施行された法律(特許法、会計法、郵便法、治安維持法など)
2 朝鮮で使われることを目的とした日本法(朝鮮銀行法、植民地、共通法など)
3 制令
制令では多くの日本の法律が移用されていたが(朝鮮民事令、朝鮮刑事令参照)、日本の法律が朝鮮の法体系の中に移用されたものであって、
あくまでもそれらの解釈も、朝鮮の法体系の中ですべきとされていた。つまり、朝鮮法そのものである。
このような点から、大日本帝国憲法が適用されるのかも問題となっていた。
これについては、台湾について政府が大日本帝国憲法の適用なしという見解をだしたが、帝国議会で問題となったため、それ以降曖昧にされていた。朝鮮につい ても同様である。
しかし、日本本土と異なる法体系、裁判制度、議会制度などを持っていること。家族制度が異なることから戸籍法が適用されなかったり参政権の制限などもあっ たのだから、つねに憲法 の適用との関係は問題となりえた。美濃部などは、国家元首としての天皇の部分など、当然に適用される部分と、適用されない部分があると述べていた。
このように、植民地は法域の異なった地域であった。現地の人の移動には様々な制限があったし、一時期までは移入税という関税も存在していた。法域が異なる から警察権も別であり、朝鮮で犯罪を起こした人が日本本土に逃げ込んでも、朝鮮の警察は日本本土で活動は出来ない。その逆もしかりであった。これは後に共 通法という法律ができて解 決した。
このように植民地は法的には外国と同じ地域だったのである。そのため、植民地について、「外から見れば国内であるが、中から見れば外国である」と言われる のである。
管理人注:それではフランスのTOM(海外領土)DOM(海外県)ではどうしているかですが私が若い頃航空会社の支店長として駐在していた仏領ポリネシアには法律なんてあったけ?という感じでしたが裁判所もあるし....植民地政策の基本は「生かさず殺さず」「君臨すれど統治せず」。
植民地だったのは事実ですよ。
しかし、人心は根深い所では反抗です。
現在の台湾の姿勢は借り物かもしれませんねぇ...